綺麗なもの

モノであれ、抽象的な精神であれ、エキセントリックなものほど綺麗なことが多いです。意外と”普通”なのが最も醜いものです。
なーんてことを、本を読みながら考えていました。小説を読んでいて、通常の恋愛小説だなんて美しくありません。決まりきった役割とお決まりのパターン、形骸化されたキャラクターを読んでいても何の感慨もありません(ああ、擦れているなぁ・・・自分)。もっと高次抽象化された綺麗なものが面白いんですよね! 最近流行の”萌え”は、今や完全に形骸化され、リアリティのない女の子に飽き飽きしてしまいます┐(´〜`)┌
なんでこんなこと言うかっていいますと、この時期に外回りしていると尋常じゃ無いくらいに暑いんですよ(+□+;) そのとき、ふと夏至南風を思い出しました。あの小説、あんまり好きじゃなかったはずなのですけれど、時々読みたくなるときがあります。男が読むにはアレな内容なのですけれど、閉じた世界とドロドロした腐った感情のやりとりのなかで、ピーシアの白さがまぶしい! 美術の世界では無機質的な作品の中に、動物や食べ物のやわらかいメタファーを盛り込んだりして対比した存在を作中に込めます。この小説ではそれが見事に映えている気がしますヨ。またピーシアの持っていたナイフは、コミュニケーションのメタファーだと私は思っていまして、人とコミュニケーションを取る時は、言葉のナイフで相手を軽く切りつける。それが致命傷ではなく、表面的な傷であれば心地良い。致命傷を与えてしまうとコミュニケーションは破綻する。話が逸れてしまいましたが、夏至南風はドロドロした話なのに綺麗な世界感だ! 何でだろう? と営業をサボりながら考えていました。
そして営業は醜いなぁ・・・と、思いましたよ、やっぱり orz 土耕す現実は、泥臭くて綺麗じゃないです。普通じゃない仕事に憧れる人が多いのは、それが綺麗だからなのでしょうね。