ハッカーとクラッカーについて

よく、ハッカーとクラッカーの違いについて、そこらへんのWebサイトに説明があるじゃないですか?あの説明がいかにも日本人らしくて私をたまにいらつかせます(--;;) ハッカーとクラッカーに共通するのはまずソフトウェアに対する”情熱”だってことが挙げられます。

ソフトウェアに興味を持って、本を漁り自分でコードを書いてみる。で、簡単な入出力が出来るプログラムが出来た。次は状態遷移を伴うようなプログラムが作りたくなってつまずく。手持ちの本を見てもたいしたことが書いてないのでネットで探してみる。アラームシグナルを使えば、状態遷移を伴うプログラムが書けそうだ。でも、なぜかコンパイルできない・・・調べてみると、先のアラームシグナルの手段はUNIXのシグナルを使う例であり、Windowsでは先のシグナルが使えないためであった。「何か他の手段がないか?」そうだ!他の人は似たようなプログラムをどうやってWindowsで書いてるんだろう?日本語のページでは見つからなかったけど、海外の人は?

のように、ソフトウェアに対する自身の好奇心から実際に行動した結果として、常人からみるととてつもないスキルを持った方がハッカーやクラッカーと呼ばれます。で、実際にハッカーとクラッカーは何が違うのかというと、その行動の結果が社会通念、道徳的に善なのか悪なのかが違うのです。別に犯罪を肯定するわけでもないですけど、ハッカー・クラッカーを区別するのは現在の社会通念であって、今この瞬間にクラッカーと呼ばれている人でも5年後はハッカーであるかもしれません。ハッカー・クラッカーの中でも、常人からは想像も付かないような手段・結果を出せる方が畏敬を込めて魔法使い(ウィザード)と呼ばれるのでしょう。
三十路になってデキリーマンが周りにいっぱいいる今、ようやく気づいたことですが、そういったパワーのある人になるには、つまるところ、従来手法の模倣の繰り返しと脳みそのキャパの絶対容量と、青春をあきらめる覚悟が必要です(笑)。もちろん頭が切れること前提で、です。冗談ではなくて本当にそう思っています。最近いろんなことを頭に詰め込みすぎているので、私はすぐに色んなことを忘れてしまうようになりました。そんな風に記憶が零れ落ちることなく、従来の手段に精通していて全てを記憶できるキャパと、青春の楽しい思い出をソフトウェアの関心のみで埋め尽くす覚悟、さらに従来の手段では意味が無いことに気づけば、ウィザードになれるでしょう。
なので、ハッカー・クラッカー論を一概にさまざまなサイトで断言している今の状況では、却って若い情熱が削がれてしまう恐れがあります。それが残念でなりません。ジェネラリスト志向の強い日本では、極端な興味の偏重となるハッカー・クラッカーを目指す生き方は難しいですけどね。(私はおすすめしません。)

最近のソフトウェア関連の関心ごと

最近はC++を勉強し始めました。いまさら・・・ですが、C++というかプログラミングにおけるオブジェクト指向の考え方そのものが、Cの構造体から派生したものなんですね。今になって理解しました。クラス間の誘導可能性をコードで表現するのに、ポインタを使うとはぁ・・・(#/__)/