ライ麦畑でつかまえて

今まで”ライ麦畑でつかまえて”は未読でした(T∇T)。もうね、この年までサリンジャーを未読とは情けないです。前回のブログでちょこっと書いたこともあって、早速買って読みましたよ。野崎訳の方を。

簡単なあらすじ

主人公のホールデンは世の中の大人の世界のインチキさが嫌いで、そんな割り切れない世界を暴こうと各所で無茶な行動、言動をします。大人のインチキさが大嫌いなのに、大人の世界へ入って暴れては幻滅し、また入っては幻滅して、ついにはホールデンは泣き出してしまいます。そんな、子供と大人の狭間を行き来している青春真っ盛りの主人公が、ラップ調で自分の主義主張を大人の世界に対して訴えかけます。

ホールデンは妹に「ホールデンは何になりたいの?」と問いかけられます。しかし、ホールデンは考えても考えても何も思いつきません。あれほど世の中に対してわだかまりがあった筈なのに、自分こそが正しいとして訴えたいものがたくさんあった筈なのに、何になりたいのと聞かれて答えられなかったんですね。でも、彼はこう答えます。

ライ麦畑で子供達が遊んでるとする。遊んでいる子供達が、ライ麦畑の安全な場所から離れて危ないところへ入ってしまわないように、遠くへ行こうとしている子供を捕まえる役になりたいんだ。

この箇所はジーンときちゃいます(T∇T)。この辺りは宮沢賢治のアメニモマケズに似ている点がありますが、ホールデンがなりたいと言った”ライ麦畑の捕獲者”というのはもちろんメタファーでありまして、自分のように踏み外してしまった(能力があるというのに環境に恵まれなかった)人を優しく諭してあげたいと言っているんですねー。その辺はピーターパン症候群みたいな印象を受けてしまいがちですが、そういうわけでもない。ホールデン君はしきりに大人へなりたがります。でも成長を急ぐ余り、彼は依然として子供のまま未成熟な部分があり、その純粋さが社会の理不尽さ、生きていく上での妥協というものを容認できず、衝突して自分の正当性を証明しようと無茶な言動を連発します。
自分には能力があって、でも環境が恵まれなかった。幼い頃に思っていたような輝く未来なんて実際には何処にも無く、理屈じゃ割り切れない力任せの世の中に対して自分が正しいと正面から衝突した。そういう経験のある人には、ホールデン少年のいう”ライ麦畑の捕獲者”の意味が良く判るでしょう。そして、そこにホールデンの純粋さゆえの優しさがたくさん詰まっています。彼のように、大人たちのインチキの毒に気づいた子供達を救って助けてあげたい。なぜって、ホールデンの周りには、彼のようにそんなことに気づく友達は誰もいなかったから、自分と同様の繊細な感覚を持った”同類”を救って、あわよくば友達になりたかった。このホールデン少年の孤独感が非常に良く判る。良く判るのですが、言葉にするのは難しいです(^^;
私も、彼のように”ライ麦畑の捕獲者”になりたいと思うところがあります。
ゲーテファウストの幕明け前の狂言にこんなシーンがあります。

道化役
若い連中というものは、それ、多情多感でね、台詞回しの面白さもわかれば、舞台の嘘を楽しみもする。出来上がった人間には、手のつけようが無い。相手にして甲斐のあるのは、これから大人になろうという方たちです。
詩人役
それなら、この私がまだ青年だったあの時代を返してくれたまえ。あの頃の胸の動きを、深い切ない幸福を、憎む気力を、愛する激しさを

ホールデンの通っていた学校のOBが、その学校に通っていたときは人生最良のときだったと主人公に語ります。それに対してホールデン聞く耳を持ちません。それは若さゆえ成長ばかりを急いでしまっているからですが、私もきっとホールデン同様、上記の狂言中の詩人同様、以前このブログにも書いたかもしれませんが、やはり思春期の頃の、胸が高まった刹那の回収がきっと自分の人生の目的だろうと思っているところもあり、なかなかこの小説は面白かったです。
世を拗ねている人こそ、読むと得られるものが多い小説でしょう。