ネコソギラジカル(下) 青色サヴァンと戯言遣い
西尾維新の『戯言シリーズ』最終巻です。思いっきりネタバレします。ネタバレどころか、既に終わってしまったこのシリーズを、さらに終わらせるために徹底的な考察を書こうと思います。既に読んだ方のみ先を読んでくださいませ(´ー`)
ネタバレ
ネコソギラジカル(下)の大まかな流れ
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- 玖渚友といーちゃん
- 狐さん
- 赤色 v.s. 橙
- エピローグ
最初の青色の章は、友といーちゃんの観念的な会話に終始します。この章だけ見ればごくごく自然な展開ですが、後になって読み返してみると構成がおかしいことに気づきます(それは後述)。ちょっと過剰なまでの言葉遊び、でも個人的にこの章は好きです。
次にアパートの倒壊から始まる橙とそれをめぐる狐さんとの章に入ります。この展開は結構無茶なペースで進みます。主に十三階段とのやりとりです。
赤色 v.s. 橙は、”砂漠の鷹 v.s. 砂漠の狐”と”人類最悪 v.s. 戯言遣い”の代理戦争です。端的に感想を書いてしまえばちょっとくどくどしく書きすぎかなぁ?ここでいーちゃんは狐さんに勝利することになります。
エピローグでは”請負人”業を始めたいーちゃん、そして才能を捨て去ることで生き長らえた友の話です。
とまぁ、こんな感じです。で、ざっと読んだところ、やっぱり構成がおかしいです。破綻しているところを得意の言葉遊びで塗りつぶしたような印象です。そこでネコソギラジカルをもう一度考察してみましたところ、ひとつの仮定を思いつきました。
既に出来上がっていたストーリーの一部分を編集して消し去り、しかしネコソギラジカルは上中下巻だと発表してしまったため、大幅にストーリーを構成し直し3巻に収めた。
ということです。つまり、ネコソギラジカル(下)の赤色 v.s. 橙の話は、
ネコソギラジカル(中) 赤き制裁 v.s. 橙なる種
に書かれるべきストーリーです!! それがなぜ下巻に書かれているのか? 上巻は狐さんのプロフィールに関して異常にページ数を割いていますが、そこまで冗長に書く必要があるのか? 赤音さんは出る必要があったのか? 出夢くんを復活させる理由があったのか? それらと言葉遊びを削ると、上巻で宴九段の登場シーンまで書ききることが出来る気がします。
その後、時宮時刻のエピソードについてもう少し引き伸ばしても良いと思います。本来の中巻は、十三階段との戦闘と 赤 vs 橙 になるはずであり、最後は西東天に引き金を引くシーンで終わるのがベストです。十三階段との戦闘シーンが少なすぎる。これはいーちゃんのスーパーサイヤ人化を避けるためでしょうか(笑)。
そこで、今回の最終巻です。友とのやりとり、友の復活に関しては端折ってしまっていましたが、本来はそこに何かしらの描写があったのでは!?と予想できます。それが後で読み返してみて陳腐過ぎてカットしてしまったのか、内容に問題があったのか・・・真相は知りませんが、このように再構成してみるとネコソギラジカルのバラバラな構成の説明がついてしまいます。するとネコソギラジカルには間違いが多かったことにもうなずけます(笑)。大学院は”終了”するものだし、零崎は序列3位でしょうw あれだけ冗長に作中で説明していたのに、間違うのは可笑しい・・・
さようなら、玖渚友。
お前は死ね。 僕はお前を殺して生きる。
というのとエピローグにはあまりにも矛盾が・・・(苦笑)
漫画、アニメ、ハリウッド映画の構成に踊らされすぎて、ずいぶんとひどい有様です。もうミステリではありませんし、文学とも言えません。
最後のエピローグですが、あれは戯言遣いが請負人となることで、つまりいーちゃん自身も赤色や狐さんと同じく因果に追放された身になってしまったということでしょうか。結局”物語の外側”ということについて深く考えてみても何も分からないような終わり方です。
ネコソギラジカルは、全戯言シリーズ中、一番得るものが少ない作品です。それでもファンならばもちろん買ってしまいます(T∇T) 自信満々だったクビキリサイクルやクビシメロマンチストの頃とは打って変わって、お茶を濁すような言葉遊びであいまいにぼかされています。