誰よりも早く走れたら

私は何かを教えて貰うのが非常に苦手です。
自己学習が早いと、教えてもらうことなしに先に先にと進めるからです。それは私の強さだけど、それ故に時には脆い時があります。強者は牙を研ぎ、弱者は知恵を研ぐ。私は成長が遅い方でしたので、小学校のときは大変苦労しました。それは結果として自身の知恵を研ぐことになりましたが、今ではそれが枷となって私を苦しめます。
私は小学生の時、マラソン大会ではいつも遅いほうでした。マラソン大会はね、遅い人にとっては苦痛以外何者でもありません。マラソンを後ろから見る風景は重苦しくてどす黒いものでしたが、どん底からならそれ以上順位が落ちることも無いから、順位が上がっていく希望がありました。そして走り続けて、その果てに垣間見えるものは、”ただ然とした飽き”であるか、あるいは追走者の恐怖になってしまいます。そうなってしまうと、マラソンは楽しくない。初めからレベル最強の勇者を操って戦闘していても何も楽しくない。だからこそ、冒険者はゴールにたどり着いても冒険を止めず新天地を求めるのです。
世渡りが上手な人は、上手い具合に環境を渡り歩くことが出来る適応性の高い人のことを言いますが、世渡り上手さんはね、世渡りしたくてしているんじゃなくて、世渡りせずにはいられないっていう心境なのが本音だと思っています。
初めからレベルの高い勇者さんは、勝負を勝負として成立させるために、相手のレベルまで下りてハンデをつけて戦わなくてはいけません。でもね、レベル1の勇者さんは、仲間をつけて冒険を始めることが出来るんです。普通はみんな臆病だから、冒険の書を消してレベル1から新しく始めることなんてしないけれど、弱者からのスタートの面白さを知っている渡り鳥さんはね、ハンディキャップに追い出される形で、あるいは過の初々しいスタートを恋焦がれて渡って行きます。
まぁ、何が言いたいのかというと(本当はこうやって書くとココの部分しか大事に読まない人がいるから書きたくないけど)、弱くたって良いこともあるし、強ければずっとそれで良いかというとそうはうまくいかないものです。途中できっとその強さは阻止されてしまいます。そんな風に、本当に自分の思いもしない形で世を渡っていく人がいます。皆はこぞって彼らを世渡り上手だと言いますが、そんなに考えて世を渡っていったのではなく、ただ運命に流された結果がそうだったんですね。