一字決まり

私のことを少しだけ話しましょう。私の出身高校では、国語の時間に百人一首を習いました。もちろん、テストにも百人一首が50題ほど出題されるのです。そういうわけで、『む』と聞いただけで今でも体が反応して、『村雨の〜』を探してしまいます。
さて、今日ではインターネットを利用しているのが当たり前になっています。すると困ってしまうのが情報検索です。初めにそれに着眼してブレイクしたのがヤフーですね(もちろん、当時不動産バブルが崩壊した後なので一気に期待が高まったという時代の風に押された感がありますが)。欲しい情報をGoogle等で検索しようにも、その結果に表示されているWebサイトに自分の欲しい情報が載っているのか分かりません。ところで、Webサイトの管理者から見れば、星の数ほどあるWebサイトに、自身の存在自体が埋もれてしまう危惧もあるため、ページを目立たせようとしていますよね。Webサイトに限らず、あらゆる情報は”検索されてこそ、存在意義がある”のです。調べる事それ自体、対象の情報の一部は知っているけれど、情報が足りないから補完するために行う行動です。とどのつまり、情報社会で必要なのは、足りない情報だけで自身がアイデンティファイされることでしょう。まさに、百人一首の一字決まりのように― (イメージが沸きにくいですかねぇ・・・w)
例えば、大学の学部名に”国際”、”情報”、”社会”、”環境”、”生命”、”福祉”などのキーワードを使って、独自の学部学科名をつける大学が最近になって増えています。それは、イメージの向上だけでなく、学校名が分からなくとも、出身大学が分かる人には分かるように出来ているとの意図が隠されているのですね。世の中には一字決まりを使って暗にアイデンティファイを意図しているものが非常に多々あります。そういうものを意識しながら日常を過ごすと、社会の上部構造が見え隠れしているのに気づくかもしれません。