歴史はパラダイムの風を受けて進むロマン主義的イロニー

久しぶりに難しいタイトルをつけてしまいました(笑)。最近巷で話題のホリエモンフジサンケイグループの争いですが、もしホリエモンがやっていなければ、きっと彼に代わる誰かが似たようなことをやっていたでしょう。それはジェイルオルタナティブの事ですが、今までの歴史を振り返れば、そのような行為は意外にも頻繁に起きているのです。そして、それが成功したとき、その人は英雄と呼ばれ、詩人に謳われ語り継がれていくのでしょう。ホリエモンが英雄かどうかは分かりませんけれどね。
さて、この地上に風が吹き抜けているように、宇宙にはエーテルの風が吹いています。同様に、歴史の流れの中にはパラダイムの風が吹き荒れているのです。ハムレットの舞台で、最初の嵐の場面が最後にはすがすがしい晴天で終わるように、一つの時代は、人々の意思に押された形で選ばれた英雄たちによって崩壊され、そして再生成されてきました。そういうわけでホリエモンが居なくとも、いずれは同様のことが起きたと先に述べたのです。誰が見ても今の日本が変わらなくてはならないのは明確で、今回の事件はある意味一つの時代の終わりを示唆したものだと受け取ることが可能です。
昔の戦国武将たちの戦いにはロマンがありました。現在の戦いには全くロマンがありませんね。それは同世代である私たちには感じられないだけなのかも知れませんが、若者に代表されるロマン主義的イロニーが歴史の舞台においてパラダイムの風を後押しするかたちで恰も抑止力のように働いてきたとも言えます。今回の事件にしろ、これからの未来にしろ、誰も自分が当事者だとは思ってないだろうけれど、今はなんと言っても貴重なパラダイムシフトの時期であるのだから、それを楽しまない手はありません。私達の感ずるロマン主義的イロニーは、パラダイムの風となって運命を時に刻み付ける― それをしっかりと自覚しないでは物事の大局が見えてこないのであります。