劣性に憧れて

色素が薄いだとか、毛が濃くないとか、ワキガでないとか、髪の毛が真っ直ぐサラサラとか、そういう憧れって劣性に焦がれているってことだよね。いや、日常生活でそんなことを意識することは無いかもしれないけど、よーく考えてみるとそうじゃない? 外見だけの劣性ならば良いのですが、劣性であることは内面も劣性であることが多いのです。例えば、髪の毛がサラサラで、瞳は薄い茶色、二重で色白で、指先は真っ直ぐ整っていて、鼻が高い人が幸せに生きられるかというと、全然そんなことはない。こればっかりは断言して言えます。むしろ幸せには生きられないことのほうが多いです。先に述べたように、それは良くも悪くも劣性であるからです。人が普通持っていない才能を持っている人は、総じて人間関係がうまくいかないものです。そして身体的にも欠陥があるのだから、尚更幸せから遠ざかってしまいます。幸せは多分そこにはない― と以前から考えています。昔から言うじゃない? ”美人薄命”だって。
願望と幸せは、必ずしも一致するとは限りません(´ー`)y-~~
『才能は欲しいけれど、鬼にはなりたくない』 そんなワガママが通るわけがありません。鬼として修羅を生きるか、願望に焦がれるままに生きるかのどちらかなのです。