正当を塗った、正統でない本の比重

エナメルを塗った魂の比重を読みました。もうユヤたんはお腹一杯です。此処まで読んで、一つ気づいたことがあります。佐藤友哉西尾維新の二人の作品がライトノベルと分類されるかどうかはともかく、ライトノベルがどうしてライトノベル以上でないのかということを考えてみました。ライトノベルと言われる小説には現実感が欠損しています。どうしてなのでしょう? それは登場人物がとても若い人たちばかりだからです。そして終始、自分を取り巻くごく周辺のことばかりを気にしています。ああ、なるほどね・・・だから君と僕の壊れた世界なのかぁ。巷でのライトノベル批評がようやく実感できました。(この辺の問題は著者が年を取れば解決するでしょう)
でも、だとするとライトノベルは絶対にライトノベルを超えられないでしょう。昔の人はゲーテの若きヴェルテルの悩みを片手に青春を謳歌していました。次の世代の人々はサリンジャーライ麦畑でつかまえてを青春のバイブルとしていました。今は、バトルロワイアル(笑)を読んで青春時代を過ごしているだけです。
正統に対する強いアンチテーゼがあれば、内容がどのように記述されていようと、ライトノベルはその役割を果たすことになるからです。最近のライトノベルの風潮は「漫画に勝てないのなら、漫画の文化そのものを乗っ取ってしまえ!」というものですが、次はどうなるのでしょうか? まぁ、そんなことより私的にはネコソギ早く出せと、声高に言いたいだけです orz