タイムパラドックスに見る夢

皆さんはタイムマシンって信じますか? そんなにまじめに考えたことはないだろうけれど、その機械の意味するところは大体わかるんじゃないかなぁ。タイムマシンが実現可能かどうかは置いておくとして、もしもタイムマシンが地球が存命のうちに作れるとしたら、もう既にみんなの目の前にタイムマシンがある筈なのです。だってそうでしょう? もしもタイムマシンが遠かれ近かれ、いずれ作られるとして、そうしたら、出来た瞬間(時点)から時間渡航が可能になります。だから、『タイムマシンが作成できる』という既成事実さえあれば、時間軸に関係がなく、タイムマシンは全ての時代に遍在することになってしまうのです。だって時間渡航できるのだから。一般にタイムマシンの話が出てきたときにはこの点に注目しなくてはなりません。ココまでOKですか?
それで、もしもタイムマシンがあって過去にいけるとしたら、運命を変えられると思いますか? そうでなくともいい、もしも自分の人生がやり直せるのなら、違う因果に辿り着くと思いますか? おそらくね、これが無理だと私は思うのです(笑)。それは”今”が存在するから。どんな因果、条件が過去にあったところで、結局は今の時点に全ての運命が収束してしまう。そこで、私たちが生きている”今”というのは、時間軸上の”今”の時点の近傍にいるのです。私たちには時間軸は見えない。それは、私たちの視点が微分であるからです。つまり、時間軸に対して私たちの日常の時間間隔が狭すぎるために、その刹那の感覚からは全体を見渡して(時間の外側から)見ることが出来ないのです。ココまでOK?
それらを解決するのが並行世界の概念です。空間、時間以外のファクターに因果というファクターを加えれば、『もし、あの時こうしていれば・・・』という、現在自分の居る世界と並行して存在する”ifの世界”が存在していることになります。だから、別の世界の自分だったら、今の自分と違う運命を歩んでいるかもしれません。
とまぁ、ココまで来れば自ずと分かってしまうのですが、タイムマシンに期待していることって、運命の改変でしょ? ということはその本質は時間渡航というよりも、因果の違う世界に行くことであるのだから、別の世界に行くための道具を作ればいい。つまり、タイムマシンはお役御免ってコト。それは多分この宇宙の自然法則からの脱却だと思うのです(笑)。くどいけどもう一度説明。タイムマシンで過去に行って何か行動を起こしたって、運命は変わらない。というかそんなことは出来ない。というのは今の時点では既成事実として決定された運命の上で君は存在しているので、その運命が違うということは、運命を改変するという"君"が居なくなってしまうからです。というわけでの運命の収束ですよん。ココまでおっけぇ〜?
とすると、何か"因果律"のようなものを発見できれば、それはとてもハッピーなことなのです。それでね、タイムマシンとか並行世界に行く道具とか、そういうものが実際に作り出せないとしても、ただ単純に"そういうことが可能"だっていうことが分かっただけで、世界中の人々は一気に盛り上がるのです。歴史っていうのはそういうことの繰り返し。きっと私が「タイムマシンは運命じゃないんだよ〜」とか言ったとしても、「何言ってんの?こいつ」と思うだけで一笑に付して終わってしまう。例えば、大航海時代では新しい世界への期待だけで文化が急激に躍進したし、50年前にNASAは本気で火星には火星人が住んでいると信じて疑わなかったから、宇宙科学が進歩したんですヨ(笑)。ちなみに新しい世界への期待がなかったとき、社会が行き詰ると必ず戦争が起こるものです。
そんな期待感を私は良く"ファンタスティックな願望"と呼んでいるのです。願いや夢は、これを持つことから始まります。それを詰まらない社会的な固定観念から捨ててしまっては何も生まれない。ほら、何だか未来が変わるような気がしてきたでしょ(笑)。
なぜなら、風邪薬が無い運命を想像して、今頃自分が死んでいる世界を思い描く人なんて今時居ないのだから―
現在の奇跡に慣れっこで、今の運命が、薄氷の如く薄い確率の、奇跡の真っ只中を歩んでいることに気づかないから。
戦争のない、平和な世界をホントに夢見るのであれば、声高に叫んでいるだけじゃなくて、平和な未来に向かって新しいアプローチを提案すればいい。それが新しい世界を期待できるものであれば、きっと―