科学技術とコンプレックスの願い

科学技術をどうして発展させようとしているか考えたことある?
今ではすごく身近だけれど、科学技術の発展について考えたことがありますか? 当たり前のように科学は発展していくけれど、それはどうしてでしょう。『より良い生活を目指して』『真理の追究』『エネルギー問題』・・・優秀な小学生に問うてみたらそんな風に答えが返ってくるような気がします。それはどれも正解なのだけれど、私はひねているからそんな風には納得せずに、もっと深い理由が欲しくなるのです。
科学の発展によって一番恩恵を得ることが出来たのは実は私たちで、いつだって身近に科学はある。車にしろ、飛行機にしろ、コンタクトにしろ、全部そうだ。それが無いときはどうしていたのか― 飛行機がなければ旅行するのにも莫大な時間とお金が必要で、一部の貴族にしか出来なかった。映画なんてものがなければ、劇場にオペラを見に行くのが当たり前だった。もちろん庶民には無理だ。生まれつき身体が不自由であったら、一生虐げられて生きていかなければならなかった。それらのしがらみをまとめて"解放"してくれたのが科学で、科学を求める根底には、少数の深いコンプレックスをもつ人々の挫折の中にまみれた自由を求める意思であったように私は思う。映画はオペラを一般大衆娯楽に落としてくれた、音楽は誰でも自由に聞ける様になった、誰でも飛行機で他の国へいけるようになった、身体の不自由な人が同じように働けるようになった、インターネットはマスメディアを一般レベルまで下げてくれた。今では殆どの人が(それこそ科学によって)自由であるから、こんなことを考えるときは無いだろう。そういう裏に隠れた熱い想いが非常に胸を打つ。
科学技術は絶対的に虐げられてきた人々のコンプレックスから発展する。
実は日本の経済白書を見てみると、今後の科学技術の進歩によってもたらされる利益が既に勘定に入っています(笑)。そんなの笑い話だよね。身体的、精神的ハンデを負ったことの無い人の考えることらしいです。それはちょっと残念な話。今じゃ景気が悪くなってしまったけれど、科学技術の観点から考えれば納得できる話で、経済から考えればマルクス&エンゲレスの『共産党宣言』の冒頭に書かれていた資本主義の欠点のそのままであるのです。・・・まぁ、私は自分の毎日に精一杯なので、あんまり経済とか詳しくないですが…(あしぇ〜
本当、結局は人の強い意志の下にがんばった結果なんていうのが、私はファンタスティックで気に入っています。だってそう考えるのが一番素敵だから―