抽象の梯子を登る

それでは、なぜ人間は交換をするのであろう。その理由は脳にある。
脳は情報を交換する(信号交換の)器官だからである。まったく異なるものを交換し、
等値化できるアナロジーを有する。記号や言語は、視ることも聴くこともできる。
すなわち、電磁波と音波が脳の中で等値交換されて、私たちのシンボル活動が生じている。
「金の匂いがする」とは、食物と金が交換され、代替できなければ成り立たない。
アナロジーを利用して、対象世界をシミュレートするということは、
実のところ人間の大きくなって余剰になった脳に由来するのである。
一つの信号に対する一つの反応の回路が余分にあるために、喩えるものと、
喩えられるものとが生まれ、代替が起こり、シミュレートを試みる。
かくして、この余剰が比喩となり、抽象化を生み、
オブジェクト指向の考え方になったのである。
青木淳オブジェクト指向システム分析設計入門』

一見オブジェクト指向と聞くと、一般にはプログラミングをイメージしてしまい難解と感じてしまいがちですが、オブジェクト指向は、比喩を用いて概念を抽象化し、分かりやすくするというものです。誰かに何かを説明するとき、「例えば・・・」なんて例を用いて説明しますよね。それが、実際の作業を淡々と描写したものを高次に抽象化し、人にイメージとして分かりやすい形にして、共感できるように心の言葉として気持ちを伝え合うのです。
何か気持ちを伝えることは、実はそんな抽象化のプロセスを無意識に踏んでいて、それが本当に自身が体験したことであるほど、良質のメタファーを作り出すことができ、多くの感動と共感を得ることが出来る―
この一年間、日々の作業をずっと勢いと腕力で動かして、何だか体がボロボロになるくらいに邁進してきました。そこで得られたことは、自分では分からない。けれど、誰かに何かを説明するときに、自分の言葉で説明できることが何よりも一番の棚卸しになっているはずだと確信しています。仕事に必要なものって実はスキルではなくて、いざっていうときに誰かに頼みごとの出来る愛嬌であるとか、ミスをしても許してくれる人間関係作りだったりします。その中で、仕事が出来るか、出来ないかの判断は、もっぱらこの抽象化のプロセスの上手さ、つまり自分の言葉で説明したときに、如何に感動させられるかだと思うのです。
誰かに何かを伝えて、その通りに動いて貰うのは本当に大変なこと。例えば「お客様の声を聞いて本当にうれしい」と思うのは、きっとその言葉が、抽象化を通じて、経てきたプロセスの苦悩を連想させ共感してくれたと感じるから。
言葉で人の心が動くのは、いつもどおりの泥臭い毎日があり、それが雨のように積もり、抽象化を経てきらめくから。そんな抽象化を自分の中に発見したり、言葉で受け取ったとき、本当の感動があるのです。
私にはまだこの積み重ねが足りないから日々苦悩しています。そんな想いがいつか募って、希望の芽となれば良いな。