天使の梯子

村山由佳の小説、天使の梯子を読みました。天使の卵の続編ですね。本屋をふらついていたときに偶然目に留まり、一ページ目を開いてみると、

もしも楽器がなかったら
いヽかおまへはおれの弟子なのだ
ちからのかぎり
そらいっぱいの
光でできたパイプオルガンを弾くがいヽ

との一文がありました。この詩は宮沢賢治春と修羅第二集の最後のほうに収録されている「告別」という詩ですね。これは私の好きな詩でした。そんなことから縁を感じて購入したわけです。
本小説は天使の卵の続編ですが、天使の卵のみずみずしいラストシーンのような情景があるかというと・・・実はないです(笑)。私は基本的に有名な作品の続編はあまり読みません。だって、オリジナルよりもつまらない場合が多いから。
以下ネタバレです。
主人公が女性教師に告別の詩を読む場面があります。主人公の立場そのものが苛まれる青年であり、自身の才能に悩み、祖母の死に直面し、”天使の梯子”と”光のパイプオルガン”を掛けた場面を見て、「ああ、だから告別の詩を使ったのか」と納得できるわけです。宮沢賢治について考察してみると、彼の詩にはとし子との別れを詠ったものが多数あります。彼は宗教と科学を信じることでその苦しみを乗り超えようとしていましたが、果たして宗教、科学で人は幸せになれるのでしょうか? そんな疑問をふと感じてしまいました。
主人公がやけに子供っぽかったり、不自然なアクシデントが多く、リアリティに欠けますが、それでもなかなか面白い小説でした。でも、人に勧めるとしたら天使の卵を勧めますね。”梯子”は”卵”よりも俗っぽいです。
余談ですが、私は「告別」の詩には何度も救われてきました。初めてこの詩を知ったのは10年以上も前のことです。”光のパイプオルガン・・・”をみただけで泣けてしまいます。私には才能がなかったので、才能が欲しくて欲しくてどれだけ努力したことが・・・ ”もしも楽器がなかったら、光で出来たパイプオルガンを弾けばいい”の一節の通り、今まで何とか乗り越えてきたことをふと思い返してしまいます。
というわけで、宮沢賢治好きの人は楽しめるかもしれません。でも、本当に宮沢賢治が好きな人は、村山由佳の解釈に違和感を覚えると思います(笑)。