優しい未来が欲しくて仕方ありませんでした。

周りから暖かい目で見守られながら、まっすぐに成長していきたかったというのが本音です。結果としてはそんな幸せな夢なんて断然無理でした。タクシー運転手に道を尋ねるなんて無理。むしろ蜘蛛助どもと命を掛けて戦いたい気持ちの方が大きいよ。人を信用しない自分が欲しかったのは、ただ普通に優しい未来が欲しくて欲しくて仕方なかったのです。皆は人を嵌めることばかり考えているから、その思考を先回りするために私はもっと考える― すると、世の中の嫌なことばかり見えてくるもんだから、そんな世界が許せなくて許せなくて、きれいな世界を崩そうとするものと命を掛けて戦おうとするんだ。
誰もがそんなこと、一度は考えたことがあるんじゃないかな(ゲーテ風に言うと、こういうことを思ったことのない人は可哀想な人だ)。いつからか、その”戦い”のバランスが破綻してしまった。初めから勝ち目のない戦いなんて、まともな人はやろうと思わない。今の少年は、戦わずにじっと顔を伏せるのみ。ゆとり教育の”ゆとり”の本質は此処にあるのに、感情的な一般論ばかりの愚鈍な議論でどうしようもない。まぁ、文部省に入ると激務ちっくで大変なので仕方ないのかもしれないのですが・・・誰かが正しく本当の問題点を指摘してあげないと、いつまでたっても似非ゆとり教育のままなので、こんなネットの隅っこで細々と言ってみました(´ー`)
え、「うーん、良くわかんないなぁ。そうだ、後ろのホワイトボード使って良いから、説明してくれないかなぁ?」ですって!!! いやいや、戯言なので勘弁してください(´Д`;)
少年は、いつも心に一振りのポケットナイフを― 私から君たちへ、漠然とした不安から逃れるための、使い古した傷だらけのナイフをあげよう。