I'll verge toward the awakeness from an unfinished dream.

気づいてみれば私の世界は閉じていった。それは今に始まったことではないけれども、このままでは終わり続けていくような気がする。自己分析ほどどうしようもないものは無いけれども、私はマンションで育ち、その新興住宅の中だけで全ての生活が完結していた。今になっても(それは明確に意識しているものではないけれども)私はそのときに幼心で思い描いていた世界のイメージを引きずっている。今では幻滅してしまったきれいな世界を夢見ている。そんなものは何処にもないというのにね。だからこそ、私は失った10代の時間を取り戻したい。こんなことを考えてずっと生きていたから、きっと私は誰も居ない楽園に一人でいるタイプだ(笑)。でも最近になって私はそんな閉じた夢から覚め始めているってことに気づいた。失ったものは決して還らないけれども、私は何年もかかって、ようやく分かったことがある。それは、人は切ないから感情があるっていうこと。刹那を生きているからこそ、感情があるっていうこと。これは真理だと思う。たとえ200年生きて何かを追いかけたって、100年で出来ること以上のことはきっと出来ない。時が経つほど感情的に動けなくなるから。時間の大切さに気づいたときには、時間が過ぎ去っていた。それに気づいたのは、ゲーテファウストを幾度か読み返したときで、私が挫折したときであった。そのときから刹那の回収を始めたような気がするけど、それももうすぐ終わり。今はちょうど優しい風が吹き始めたから。そろそろ夢から目覚めるとき―

今の夢から覚めて、たった一つ夢見ることは、
次に見る夢が、どうか平和な夢であるように
たったそれだけを願って、私は、今の夢を殺すために弓を引こう

・・・・・
…ずっとね、夢から私を連れ出してくれるのを待っていたんだよ

夢という言葉には二つの意味がある。一つは寝ている間に垣間見る光景。もう一つは叶わない願い。あんころ餅みたいに甘ったるいことを言うけれども、夢はたくさんの希望とほんのちょっとの勇気から出来ている。私はね、ずっと長いこと希望ばかり詰め込み過ぎていたんだね。ちょっと前までの私は、世界がきれいでないことがどうしても許せなかったんだね。今ならそれが分かるから、清濁全てを受け止められる。
水月の感想と私の良くのたまくっていることを一緒くたに書いてみたけれども、水月をやっているとこんなイメージが沸いてきます。なんでこういうことを書いているページが無いんだろう(^^; 無いものは自分で作るっていうのが私の主義なので、自分から臆面もなく作ってしまいます(笑)。
作中では序盤の台詞回しをみると、よくピーターパンの話が出てきます。点字本を使ってまで作者はピーターパンを登場人物に読ませてます。ピーターパンの世界は悲しく閉じていますよね。夢の中でピーターは非常に爽快な冒険活劇を見せてくれるけれど、夢から覚めるたびにその世界は死んでいくから、フックとの決着はいつもつかないまま、閉じた世界は何度も何度も繰り返されます。空へと高く上るウサギ風船は、幼い主人公が描いていたたくさんの夢を乗せて月へと昇っていきます。
そんなゲームの話は置いておいて、私の中の夢が一つ終わろうとしているというか、私は一つの長い夢から覚めようとしています。次に見る夢が、平和で、甘い景色であることを祈って。

こんにちは、其処を歩く方。初めまして、此処にいる者です。もしも貴方がお急ぎでないのなら、この場所からの甘い景色を共に眺めて行かれませんか?
いつ目を閉じて頂いても結構です。瞼の裏に、光を感じて頂けるのなら。