不思議

久しぶりに科学カテゴリの記事を書きます。完全に忘れておりました/(≧∇≦)

君は、科学がただの記号だって言ったけれど、そのとおりなんだ。記号を覚え、数式を組み立てることによって、僕らは大好きだった不思議を排除する。何故だろう? そうしないと、新しい不思議が見つからないからさ。探し回って、たまに少し素敵な不思議を見つけては、また、そいつらを一つずつ消していくんだ。もっともっとすごい不思議に出会えることを信じてね・・・

最近出会った本の中に、こんな一説がありました。まさにその通りだと思う。これを読んだとき、思わず涙してしまった・・・以前は不思議を見つけるのが本当に楽しかったけれど、今は苦痛以外の何者でもない。それは、実社会に生きている以上、”不思議”を消していく作業は見たくもない真実と直面することになるから。明らかにしたくない不思議を、一つ一つ詰めていくことは時にとんでもなく悲しい。
大人になって実社会に溶け込んでも、この不思議を塗りつぶしていく情熱を持ち続けている人が研究者に向いていると私は思います。だから、きっと私は続けられません(笑)。欧米にない日本の良いところは、分からないものを分からないままに放置しておくことが出来る点だからこそ、日本には天才と呼ばれる人が少ないのです。別に頭が悪いわけじゃないんだね。
初めて地球が丸くて動いていることを知った人は、それが分かった瞬間に小躍りしたことでしょう。でも、その後にとんでもない私刑を受けてしまいます。社会に科学が必要かと問われれば、必要ではないのかもしれない。なぜなら、分からないことが原因で不幸になることはないから。知っているがために不幸になる瞬間はあるけれども・・・
私はこの情熱が少し醒めてしまったから、こんな弱気なことしか書けません(苦笑)